痛みについて

 歯科医の仕事の第一番は、歯の痛みをとることです。歯は脳に近いところにあって、これを守ろうとする本能のためか、その痛みは他の部位より、うっとうしく、強いようです。百人一首の撰者、藤原定家も「名月記」のなかで、歯痛を繰り返し、今日も歯医者に来させて手当てをしてもらわなければならないと、愚痴をこぼしています。
 それにしても、痛みは、受け入れる個人によってその程度は千差万別で、一旦痛みを引き起こすことがわかると、歯科治療器具を近付けるだけで、痛みを覚える人もいれば、虫歯治療で、歯の神経(歯髄)まで達して削っても、あまり痛みを訴えない人もいます。これは、痛みの刺激を受け入れる神経の作用は同じであっても、伝達先の脳における痛みの程度の解釈が、個々人によって異なるためでしょう。
 また、おもしろいことに、上下の歯を間違えて痛みを認識する人もかなりいます。特に奥歯に多く、下の奥歯の痛みを訴えるので、精査をしても下の歯に異常は見られず、同じ側の上の歯に痛みの原因となっている虫歯がみつかることもあります。説明しても納得せず、それでも下の歯がおかしいと言う人もいます。これは、同側の上下の歯の痛みを感じる神経(三叉神経)は脳に向かって別々に走りますが、すぐ一緒になり、その刺激は脳において同一の場に投射されるからです。脳は必ずしも厳格ではなく、かなり曖昧性を持っているようです。
 これと同じで、上の奥歯の痛みを訴える人で、副鼻腔炎が原因であることもあります。これは、上の奥歯の根っこのすぐ上に副鼻腔の一つの上顎洞があるためで、両者を支配する神経は同じだからです。この上顎洞はインプラントの手術で問題になってくる器官で、歯痛から副鼻腔炎、上顎洞炎の診断をつけるのは、口腔外科でないとなかなかできません。
 事ほど左様に、痛みは非常に主観的なもので、ある本が述べているように、「痛みはまさに、文化的なもの、社会的なものとが混ぜ合わさったもの以外の何者でもない」(R.Rey:Histoire de la Douleur)ので、私たち歯科医は、患者さんのもつ背景にも気をくばりながら、日々治療をしています。

投稿日:2007年10月2日  カテゴリー:未分類

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