「古事記」、「日本書紀」によれば、神代の高天原で、天照大神がスサノオノミコトの乱暴に怒って、天の岩屋戸に籠ってしまった結果、高天原に光がなくなってしまいました。困った天の八百万の神達が思案した挙句、アメノウズメノミコトの踊りとアメノタジカラオノミコトの強力で、なんとか天照大神に岩屋から出てもらうことに成功し、めでたしめでたしとなったそうです。。
今回の民主党の小沢代表の辞意表明騒動を見て、デ ジャ ヴ(既視感)を覚えたのは、この神話の故でした。小沢氏が単なるプッツンしただけなのか、深謀遠慮があってのことなのかを判断するには、もう少し時間が必要ですが、はっきりしているのは、小沢氏の辞意を聞いて、民主党の国会議員皆が呆然とし、おろおろと慌てふためいたことです。天の八百万の神のように。
本来なら、党首を辞めると表明したら、それに代わろうとするリーダーが現れていいはずです。社長が辞める、病院長が辞めると言ったら、その権力を奪おう、あるいは譲り受けようとする人が出て来るのが普通ですが、現代の政治家でそのような気概を持った人はいないようです。それは、二ヶ月前の前首相の辞任においても、自民党議員の中で積極的に俺がなると、主張する総裁候補者はおらず、最終的に決まったのは、今までそうなりたいとは思ってもみなかったと自分で言っている人だったことをみても、明らかです。
これは、政治家に政治理念がなくなったためではないかと、私には思えます。昔は、自由主義、社会主義、共産主義とイデオロギーがあったので、それを基にした理念が否が応でも与えられました。しかし、ソ連崩壊以来、資本主義、自由主義の一人勝ちとなり、対立軸はなくなりました。資本主義の中に、超保守の新保守主義(ネオコン)とリベラルな自由主義とがありますが、決定的な対立思想でないようです。現代は、政治家にイデオロギーに基ずく緊張感はなくなり、何をすべきかなかなか見つからない状態なのです。
これが、新しい政治理念を産む過渡期の苦しみの時期なのか、さらに政治的混乱に至る前兆なのか、未だはっきりしないというのが現状のようです。
投稿日:2007年11月13日 カテゴリー:未分類